店主の雑文 バックナンバー 
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腐海のほとりに佇んで    藤下真潮
ザ・ベストテン 完結編
初出:「漫画の手帖 No.66」 2013年11月20日発行

 

 ベストテンとか銘打っておいて10を超えてもまだまだ続く。完結篇まで引っ張っておいて何か面白い隠しネタでもあるかといえば、多分絶対そんなものはない。何がどう完結なんやら店主にもサッパリわからない(無責任だ)が、完結編です。

 

 

・遠藤淑子「ヘヴン」初出:白泉社メロディ1998年10月号、1999年4月号、10月号 「ヘヴン2」初出:白泉社メロディ2000年10〜12月号、2001年4〜5月号

 およそ「ヘヴン」とか「エデン」とかユートピア的名称のついた作品は、ことごとく反ユートピア的な内容となるのは古今東西津々浦々の大事なお約束ごとである。ご多分に漏れず遠藤淑子「ヘヴン」も反ユートピア的な作品である。デビューから一貫して、ほのぼのハートウォームお気楽コメディマンガを描き続けた遠藤淑子の初めてで、現時点で唯一のシリアス・ハードSF長編作品である。ただし絵柄に関してはお気楽コメディのまんまである。
 比較的最近の作品だしググればあらすじなんかはいくらでも転がっているので、今更内容の解説は不要かとも思うのだけど、ここで解説抜いちゃうのもあまりに手抜きとそしりを受けそうなのでちょっとだけ内容解説。
 「ヘヴン」の方は、核戦争(年代不明)前に作られた暗殺用ロボットであるルークと男みたいな風貌だけど女性で軍隊上がりの マット・デイリー。基本はこのふたりの掛け合い漫才的な展開で話が進みます。これに医療刑務所で脳手術による人格改造を行おうとするドクターハーシュとか、殺人鬼ジョン・モアとか、マットの元同僚で完璧な遺伝子で作られた筈なんだけど普通の能力しか持ち合わせないディヴィス中佐とか、放射線による甲状腺障害で子供の体のままなマットの姉ホーリーとかが絡み合って話が転がっていきます。まあ解説はこんなもんで…(すげえ手抜きだ)。一応全3話で各話読みきり形式です。
 「ヘヴン2」は、時代が遡って暗殺用ロボットであるルークがどの様な経緯により作られたかが語られます。最近のハリウッドが得意なウケると始原の話に戻るってパターンのやつです。こちらは核戦争前にルークを制作するロボット工学者 ジョナサン・ルーとルークの姿のモデルになるデイビー・トレヴァーのふたりが主人公。これに軍とか、遺伝子研究を行うエクソン社とか、テロ組織ネイチャーガーディアンズとが絡んで「ヘヴン」以上のネトネトでグチャグチャな暗い話が展開します(もっと手抜きだ)。こちらは5話連続の長編。
 「ヘヴン2」の方は話として完結しているが、「ヘヴン」に関しては実のところ話が完結していない。ドクターハーシュやジョン・モアに対する決着がついていないのだ。そんなわけでネット上でも続編を期待する意見は多いし、店主としても出来れば続編はぜひ読んでみたいと思う。でも多分続編は描かれないのではとも思っている。店主はこの作品を非常に傑作だと思っているけれど、作者にとっては作者自身が思い描いたような傑作に成らなかったのではないかとも思っている。これに根拠は特にないのだけれど、遠藤淑子のその後の作品を見ているとそんな風に思えてしまう。

 

 

・武石りえこ「れい子さんが行く」 初出:小学館プチコミック1978年早春の号〜1983年2月号 全75話


 ラララ赤裸々なマンガ家、武石りえこのデビュー作にして、初連載作品です。どんなマンガかといえば、親元を離れ一人アパートで暮らす女子高生たけいしれい子さんのラララ赤裸々で赤貧洗うがごとくなギャグマンガです。
 同居しているのは性的不能の犬(犬という名前なのか、それとも名前がないのか不明な犬)。アパートの階下に住むのは、しんこんさんと呼ばれる新婚夫婦(連載から5年経っても子供が4人も産まれても、しんこんさんと呼ばれているのでひょっとしたらこれは苗字なのかもしれない)。住んでるアパートの住所が”東京都某区某町火が某々”だったり、通っている高校が”某高校”という具合だから、作者はネーミングセンスが無いというよりはネーミングを放棄しているのかもしれない。
 脇役として出てくるのは、妙に面倒見がよい鬼だったり、純血性にこだわる吸血鬼だったり、しけたオカマさんだったり、季節外れのゆうれいだったりとやたらバラエティ豊か。
 ネタの方は、パンの耳だったり、下剤だったり、便所(くみ取り式)だったり、生理だったり、パンツだったり、ブラジャーのカップサイズだったり、両親の離婚だったりとラララ赤裸々なものばかり。ちなみにれい子さんは女子高生なのに学校ネタはあまり無い。
 ところで話は脱線するが、数年ほど前ツイッター上で武石りえこが山下和美の姉だということを知った。その事自体はたいして驚かなかった。しかしよくよく考えれば山下和美の姉だということは、天才柳沢教授のモデルであった古瀬大六氏の娘だということになる。これにはちょっとショックを受けた。プチコミック上のコラムから武石りえこが高校時代から一人暮らしの貧乏暮しをしていたらしいことがわずかに伺える(高校時代にカビたパンを食って腹をこわし、学校がサボれてしかも食費が浮くので嬉しいという記述がある)。つまりこのマンガの設定の半分ほどは作者実体験が素の可能性がある。古瀬大六氏はこのラララ赤裸々な娘のマンガ読んで一体どんな感想を持っただろうか(読まなかったのかもしれないが)。
 と、脱線したままで話を終えようと思ったが、最後にちょっとだけ蛇足。半年ほど前の話である。古書市場で仕入れた雑誌の束に小学館「プチセブン」が1冊だけ混じっていた。1978年4月20日号である。この号に実は「れい子さんが行く」が掲載されていたのを発見してしまった。つまりこの作品が掲載されていたのは、「プチコミック」誌だけでは無かったことが今更ながら判明。つまり前掲の”全75話”は大嘘ということになりました。困ったもんだ。
 あ、ところで”ラララ”というのは”赤裸々”の枕詞です(これも大嘘)。

 


 
・市川春子「日下兄妹」 初出:講談社アフタヌーン2009年12月号


 これで最後の最後の本当のシメ。店主は古いマンガしか読んでいないと傍から思われているようなので、ちょっと見栄張って最近のマンガも挙げてみた。でもそんなに最近でもないや(汗)。この作品に関しては、本当に近作なんで作品の解説は全くしません(やっぱり手抜きじゃん)。
 この作品を店主が読んで頭に浮かんだのは、”新しい”というキーワードだった(オビにもそう書いてあるしな)。この”新しい”は、昔々の大むかし大島弓子を読んだ時に感じた新しさに通じるな、とも思った。
 ここで市川春子と大島弓子の共通性でも語れば実に評論家っぽくてカッコいいのだが、そうは問屋が卸さない。”新しい”以上に強く感じたのは、市川春子が描くスカートの裾は実に素晴らしい?!であった。これは手塚治虫のエロティシズムに通じるものがある、とも思った。
 実に中年のオッサンの戯言のような感想である。しかも作品内容と全く関係ないし(泣)。これで本当にシメなのか? 見え張った意味が全くないぞ。

 全4回にわたって”ザ・ベストテン”と銘打って抜け抜けと13作品紹介して、さあ満足したかといえば実は全然書き足らない。”続”とか”続々”とか”まだまだ”とかをくっ付けて團伊玖磨の「パイプのけむり」みたいに幾らでも続けられそうである。しかしよく考えてみたら以前からおんなじ調子というか同じ構成でしか本欄を書いていないことに気が付いた。
 そんなわけで次回から別なサブタイトルでおんなじような調子と構成で書き続けようと決意も新たにする店主であった。

 

 

 あとがき

 我ながら呆れちゃう趣旨のコラムである。反省はしないけど(笑)。

 

 

 

 

 

 

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮